コトックス

~悩める人に効くことばのクスリ~

アスリート

高橋尚子の名言!シドニー五輪金メダリストの激しい練習を支えた言葉

2016/09/29

高校時代の恩師から贈られた高橋尚子の座右の銘

「何も咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ。やがて大きな花が咲く」

【出典】笑顔で生きる魔法の言葉・高橋尚子著

 

言葉の背景・解説

この言葉は高校時代の恩師から贈られた言葉だそうで、作者不詳ながら今では高橋尚子さんの座右の銘として有名な言葉になっています。
高橋尚子さんと言えば、シドニー五輪の金メダリストとして有名ですが、学生時代は決して目立つ選手ではありませんでした。
高校時代はインターハイ予選敗退で終わっていますし、大学入学後の日本インカレにおいても学生チャンピオンには一度もなっていません。

走ることへの強い想いがもたらした小出監督との出会い

そんな彼女でしたが、「走るのが好き」という一心で、当時リクルート陸上部の監督を務めていた小出監督に直談判しにいきます。大卒は採用しない方針だったのですが、高橋尚子さんの熱意に負けて悲願の入社を果たすことが出来ました。

そこで小出監督に素質を見抜いてもらい、徐々に頭角を現していきます。
高橋尚子さんは自分でも語っておられますが褒めて伸びるタイプの方なので、褒めながら指導していく小出監督との相性がよかったのでしょう。
座右の銘のとおり、健気に地道に努力している姿が目に浮かびます。

一躍彼女の名前が有名になったのは1998年のバンコクアジア大会。気温32度という高温多湿の最悪のコンディションの中、2時間21分47秒のアジア最高記録(当時)をマークして圧倒的な強さで優勝しました。

諦めなかった何も咲かない寒い日々

しかし、順風満帆なマラソン人生にも転機が訪れます。翌1999年の世界陸上直前にケガをしてしまい欠場を余儀なくされました。2000年のシドニー五輪出場への選考レースも兼ねていたので、これは相当に悔しく辛い欠場だったと思います。

その後もアクシデントは続き、シドニー五輪代表選考の最終レースを翌月に控えた2000年2月には、腹痛で入院するという事態にも見舞われました。

しかし彼女は決して諦めませんでした。座右の銘のとおりに、今は種まきの時期と割り切って地道に地道に調整を続けました。その様子は当時テレビのドキュメント番組でも放送されています。

そして運命のシドニー五輪出場をかけた名古屋国際女子マラソン。とても万全といえる状況ではありませんでしたが、見事優勝を果たしてシドニー五輪の切符を手に入れました。
この名古屋国際女子マラソンでの優勝インタビューでは、以下のように述べられています。

今日がくるまでは、一日一日を大切に自分が出来ることをやろうと思ってやってきたので、自分との戦いと思ってここまできました。

-2000/3/12名古屋国際女子マラソン優勝インタビューにて

この大会の日までに、既にシドニー五輪出場内定者が2人決まっていて、残り1枠を争う非常にプレッシャーのかかるレースでした。本人は小出監督が明るく毎日接してくれたのであまりプレッシャーは無かったと発言されていますが、常に一緒にいた小出監督曰く、名古屋のレースは過去2回の五輪より緊張したし、高橋本人への精神的なプレッシャーも可哀そうなくらい凄まじいものだったと語っています。

継続してしっかり伸ばし続けた大輪の根

そして悲願のシドニー五輪出場を決めた後も、更にハードなトレーニングを継続します。
アメリカ・ボルダーでの超高地トレーニングです。
標高3500mという中で、基本的には1日40キロ、長いときで80キロのトレーニングを積みました。
超高地でのこのトレーニングは危険ではないかと一部専門家から指摘もあったようですが、高橋尚子さんと小出監督の強い信念でやり遂げました。

この万全のトレーニングの甲斐もあって、シドニー五輪では見事日本女子史上初となる金メダルを獲得しました。
当時オリンピック史上最も過酷と言われたコースでしたが、小出監督によればアメリカ・ボルダーの超高地トレーニングはこの5倍は辛かったそうでして、高橋にとってはそこまで過酷では無かったように思う、と述べています。

そして、シドニー五輪金メダル獲得直後のインタビューは本当に感動的でした。

皆さんの声援のお陰で、本当に背中を押してゴールまで辿り着きました。
凄く楽しい42キロでした。どうもありがとうございました。

-2000/9/24シドニー五輪優勝後のインタビュー

日本中が彼女の笑顔に沸いた瞬間でしたね。今までの種まきの辛い時代を全て吹き飛ばして、大きな大きな花が咲いた瞬間でした。

彼女の挑戦は更に続き、翌年2001年9月のベルリンマラソンでは世界新記録樹立を目指しました。
結果は見事、2時間19分46秒をマークして当時の世界最高記録を更新。
その時の走る前の心境を、高橋尚子さんが詩にしていて、とても印象的でしたので最後に紹介いたします。

いままでに、いったいどれだけ走ったか。
残すはたった42キロ。

-2001年9月ベルリンマラソン出走前の心境を綴った詩

しっかりと根を下へ下へと伸ばしていたからこそ、辿り着ける境地ですね。
徹底的な準備がもたらした勝利と言えるでしょう。

 

今日のコトックス

今回の高橋尚子さんの名言、いかがだったでしょうか。
何をやっても上手くいかないときって誰にでもあるものです。
高橋尚子さんもシドニー五輪出場までには長く険しい孤独な時期がありました。そんなとき、今は種まきで準備の時期だと割り切って捉えれるようになると、日々の生活に希望が出てきますね。そうした大らかな態度で地道に取り組んでいけば、自然と大きな結果もついてくるということでしょう。
高橋尚子さんが言うように一日一日を大切に、自分との戦いを地道に楽しみながら過ごしていけるといいですね。

 

「あなたは今、将来素敵な花を咲かす根を伸ばしていますか?」

 

-アスリート